自分が学校を表しているという意識
終わりの会で駅前の公園でペットボトルを蹴って遊んでいて、そのまま帰ったことが問題として出されました。
「そのままにしておいたらゴミになって迷惑がかかるから、俺が片付けておいた。遊んだらきちんと片付けて」と注意しました。
「僕のだから、拾って捨てたよ」
「まだ残ってたよ」と写真を見せました。
「遊んだけど、僕のじゃないから…」と他の子たち。
「一緒に遊んだなら、ほっていかないで、気をつけてほしい。迷惑になるし、まっくろくろすけの子たちはきちんとしてないって評判も悪くなるかも…。そういうのは嫌だから。」
たんに個人がマナーが悪いで終わるのではありません。公共の場ではスクールの一員として、スクールの人が迷惑かけてないか気を配って、助けています。
スクールの中では他の人のゴミは捨てません。
本人が片付けられるようにとの思いからです。
最終的にそのままだと片付け忘れのデーブルに置かれます。
以前保護者の人が「人のゴミも捨ててあげれる気配りのできる人になってほしいのに…」と不安を持たれていました。
子どもたちはどうしてスクールではそう決まっているかの意義も理解しているので、外ではまっくろくろすけの子が迷惑をかけているゴミも片付けています。そして、スクールで説明しています。
スクールの一員という自覚があるのだと、
たのもしく思いました。