「教育観を磨く」を読んで
三河サドベリースクールシードームも紹介されている本です。デモクラティックスクールについて基本的なことを知りたい方はぜひシードームの部分を読んでみてください。スクールの日常や子どもたちとスタッフのスクールライフから、特徴的なことがわかりやすく紹介されているとてもいい内容だと思います。
他にも3校の実践が読者が教育の本質を考えるヒント・スパイスとして登場します。その1校に「横浜シュタイナー学園」があります。シュタイナー教育とサドベリー教育。小さい子がメディアに触れないことを大切にするVSゲームし放題…みたいな具体的な対比で語られるときもありますが、この本では本質に目を向けているので、シュタイナー教育と大切にするものの共通点が目立つものです。同じような基盤から、シュタイナーではこうしているのか…では、デモクラティックスクールではどうしているのかな?
いろんなことが考えら、興味深かったです。
保護者の理解…とう点でも、「腑に落ちるまで理解していないと、保護者には『してはいけない』というところだけがクローズアップされて、禁止の多い学校というところに終始すると、本末転倒になってしまう。」
おうちで別にテレビ絶対見ないまでしようとは思ってなかったけど、学校の方針だからするしかない…子どもが寝るまで自分の見たい番組も録画して、我慢しないと…なんか我慢が多い生活で疲れるな…
みたいなところから、だんだん子どもの成長・変化をみて、保護者も理解を深めていく…そういう方もいるのでしょう。
これはデモクラティックスクールの保護者でもあることです。もちろん、テレビの禁止ではないですが…。
サドベリー教育では子どものしたいことを子どもはするんだから、なんでも禁止してはダメ、邪魔しちゃだめ…と。それが自分がしんどくなることでも我慢しすぎてしまう…
例えば、夜子どもばかりがゲームでテレビを使う、自分がみたいテレビが見れないけど…しかない。しかたない…子どものしたいことを応援する、子どもを尊重する…それがサドベリー教育なんだから…そのためには自分ががまんしないと…。
これも、ある部分だけにフォーカスしすぎて、「互いの尊重」を見失ってしまって、親ばかり疲れてしまっています…。
それは、サドベリー教育がどうたら…という問題ではありません。
どの教育でも、集団でも「個人の自由」と「互いに尊重」を模索している毎日を積み重ねていくという同じ基盤があれば、その実践や意識から互いに学べることがあると思います。
なぜ、そう考えるんだろう…どう工夫できるんだろう…そういった試行錯誤から、いろんな気付きがあり、それが面白いのかもしれません。
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